振り返る

2013.12.31

後ろ向きになるのではなく、振り返ることなら何度だって繰り返したい。

私にとっての2013年は。
思い出せなくなっていたことを、思い出せないように封じ込めて、宥めて、なんとかやりくりしていたものを、
もう思い出さなくてもいいようになったから、改めて思い起こすことができた。
そんな過去たちをこの手で感謝しながら磨き上げたあと、天国へ送り出すことができた。
そんな一年でした。

長かった、んだと思う。
長かった。
でも、ここから見る景色はどこまでも清々しくて、どの方向を向いても風が気持ち良く流れていって、まるでこちらを撫でながら後押ししてくれているような、
そんな気持ちでいられる、今年だったのでした。

分かっていたこと、知っていたこと。
心の奥底では願わないように努力をしながら、ただひたすらに信じ続けていたことが、ようやく目の前に現れて、手に触れることができました。
改めて、たくさんの気持ちをすでに実感できていること。
なんの迷いもない気持ちで、真っ直ぐに立ちたいって思えている自分。
言い聞かせなくてもよくなったこと。

この一年を振り返って、これまでしばらくの環境や自分自身に対して話しかけるとしたら、
ありがとう、もそうだし、がんばったね、とも言ってあげたい。
でも、一番強く思うのは、ここから、頑張りたい、頑張るぞってこと。

集めてきた宝物たちも、いらないと思っていたガラクタたちも含めて、
存在に気付いてすらいなかった、身の回りにある空気みたいな、でも欠かせないもの達が、
一同に集まって身を固めて、力強い鎧になってくれる。
ここからだ、ここから先も、進んでいくのは私自身。
それをいつまでも忘れないでいたい。

振り返って、年があけたら、来年のことをじっくり言葉にします。

今年も一年、ありがとうございました。
来年も、よろしくお願いいたします。

ヨガの追伸、片足立ちのうた

2013.12.21

もうひとつ考えていたことを思い出しました。

ヨガの行程の片足立ちで、わたしはそのまま立っていることができずバタバタとしていました。
それをジッと出来ている他の皆さんと比べて、心が折れかけていたとき、ふと、昔から自分が歌っている「片足立ちのうた」という曲を思い出したのです。

この歌のなかでは私は、片足で立っていることを、”半分しか地についていなくてふらふらしたり、ないものねだりをしたりしてるのは、自業自得だし、あなたもわたしも両足で立てる。両足で立って、朝を迎えようよ。”
なんて、偉そうに言っていて、
でも昔もいまも変わらずに大事でありつづけている曲のひとつなのですが、
「片足で立てる」ことって、それだけでも、相当すごいことじゃん。って、ここに来て初めて気がつくことができたのです。

それもまた、今だからこそ分かった発見なのだと思うけど、
なんだかやっぱり、
どこまで行ったって人って知らないことばかりで、知ってるつもりになって進んでいくんだなぁ。と気付けてよかったなって思いました。

追伸おわり。

ヨガに行ってきた

2013.12.21

ヨガに行ってきた

お友達に誘ってもらい、先日はじめてヨガというものを体験させてもらってきました。
75分の癒しの時間。
なんの知識もなく、体が固くても大丈夫とのことだったので、何事も経験だーと思って飛び込みましたが、それはそれはほんとうに、よいものでした。

自分の体のバランスの確認。
どんな呼吸をしてるのか?どこかに力が入ってないか?よくないところはないか?
体から、心の確認をしていって、最後には全身全霊すっきりとしていて、ヨガってすごいって思った。
片足立ちで、立てなかった。
両足で立っていても、目を瞑るとぐらぐらと揺れて立っていることができなくなった。
どんな体制でいても、自分の体の重心というものを見失っていることに気がついた。
無意識でいる体のバランスが、もっとしっかりと地につくようになれたら、心ももっともっとしっかりと体に根付いていられるのではないかと思った。

瞑想の時間、わたしは、ひたすら近ごろの自分とその身の周りの変化について、考えていた。
ひとつ、足を踏み出せたらパッとスイッチが入るように、ひとりでにドミノが倒れていくように、するすると動き出すことができていく。
どこかでつまづくことも、また、予想はできている。
ひとまずは、今見えているところまで。
そうやって、今はひたすら、繰り返して生きていけたらいいな。

過去

2013.12.16

いつだって、踏みしめていられるのは「今」だけです。
「過去」は自分をここまで連れてきてくれた養分であり、まぎれもない事実。
事実だけど、過ぎ去ったもので、もう形は残ってない。
だから、あの日にありがとうと伝えられたから、ようやく未来の方向を向いて、今に戻ってこれたのです。
過去と未来の重みは天秤にはかけられないけど、今、きらきらと光っているその先がどうしても見てみたい、進んでいきたいと思えていることを、この上なく幸せに感じます。
信じるのではなくて、感じられること。
なんの違和感もなくて、ぴったりと、しっくりとくる、大切でたまらない時間が流れる。
形のない気持ちは、作り出すものでも手に入れるものでもなく、ただただ、感じるものなのだと、確認をした。
何度だって、これからも確認し続けたい。
もし間違ったらまた向き合っていけばいいよね。
「今」もいつかは過去になる。
それを忘れてしまわないように大事にしていきたい。
気がついたらもう、未来にいる。
ここはもう、あの頃願い続けてきた未来のなかだよ。

速さ

2013.12.06

二十歳になったばかりの頃、なんの脈絡もなく、年上のお姉さんに言われた「若いんだから、生き急ぐことないよ」という一言が、いまだに胸に焼き付いている。
そう言われた時、その頃のわたしは、どうしてそんなことを言われるのかがわからずに、逆に、絶対に急いで欲張って生きてやろうって思った。
そのお姉さんとの関係が、ただの顔見知りであって、それ以上でも以下でもなかったというのもその理由のひとつかも知れない。
なんとなく、反発したくなるようなお子様だったからなのかもしれない。

だけど、
自分がいざ、その時のあのお姉さんの年齢に近づいた今も、どうしてあの人がその言葉をわたしにくれたのかがわからない。
いまだに、手に入れたいものばかりだし、見えないその果てが見てみたい。
まだまだ知りたいことばかりの子どものままだからかもしれない。
それでも、やっぱり私はもがいてでも、自分のできる限りの速度で進んでいきたい。
人と比べるのではなく、あくまで自分なりの速さで。
蹴落とすものなんてなにもない、みんな進む方向も違えば体感速度だって、最終的な走行距離だってそれぞれ違うんだから。

母親が、今日のわたしに言った。
生き急ぐことでその人の人生の長さまで短くなってしまうとしたら、私には生き急いで欲しくないと。
仮にもしそうだとしたらのお話。
でも、短くてぎゅっと詰まった人生と、長くても伸び切って冷めた麺のような人生は、どちらのほうが良いんだろうか。
優劣なんてつけられるものなのかな。
やっぱり、自分のペースで、いつでも楽しくいられる速さで。
このままのペースで歩いていって目に触れられるものを、出会える人と、精いっぱい両手を広げて感じて、心を揺り動かして生きていきたい。
このままでいいのかな、やっぱりね。
きっとそんな気がした今日でした。

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